語尾の癖がすごく気になる人。自覚症状はあるの?治し方は?

小中学生のとき。

全校集会で、校長先生やえらいひとの話が面白くなくって。

校長の「まあ」とか「えー」とかの回数がやたら多いことに気づいて、心の中で指折り数えたことってあるでしょ?

オレもあるよ。

っていうか、30歳になって、また数えてしまった。

・その語尾癖、すごく気になります

いま通っている学校に就職説明の担当がいらっしゃった。
外部講師の女性で、歳は40ほどの妙齢。

その講師が口を開いて1分もたった頃だろうか。気づいてしまった。

「あっ、この先生・・・語尾にすごく”ね”が付く!」

講話中、とんでもない回数の”ね”が出てきたのだ。その頻度に思わずペンがノートをとることをやめて、計測をはじめてしまう。

その回数、2時間の講話のなかで841回
1分間あたり、じつに8回弱だ。

なにも「”ね”んきんが」とか単語を回数に含めたわけじゃない。
純粋に語尾に”ね”がついた回数を数えただけで841回。

句点がわりに使っている場面も数多く見受けられたし、ときには間をあけずにダダダっと”ね”を繰り返す場面もあった。

「企業が求めているものは次のとおりです。業務遂行能力、ね、コミュニケーション能力、ね、チームワーク、ね」

「という風にですね」「といったところですね」「こちらですね」「していますね」

なにが彼女をこうさせたのだろう。

・なぜ語尾癖を言っちゃうの?原因は?

言われてみれば「ね」は言葉をたいへん柔らかくする効果があるから自分もよく使うのだけど、ここまで連発されるとさすがに話に身が入らない。人の振り見て我が振り直せとは、ほんとうによく言ったもんよ。

どうしてこんなに”ね”を付けるようになっちゃったんだろう?考えずにはいられない。

・間を持たせるため

スピーチをしてると、次に話すことを考えたり、ページをめくったりする際にときどき「不自然な間」が出てしまう。

今回の講師は、そのときにつなぎとしての”ねっ”を付けることが多いと感じたのだ。

これはプロがたびたび使う意図的な注目をさそう”間”とは違う(数秒間~数十秒間もの無言の時間をあえて設けるテクニック)。

次の話を頭のなかで装填しておくか、堂々と黙って進めればいさぎよいんだけどな。

だけど後述の理由「句点代わり」「同意を求める」も組み合わさってなかなかそうはできないのかもしれない。

・句点や区切りの代わり

先ほどのね?「間をもたせること」とも、ね、似ているんだけどね? どうも文章における句点の代わりに使ってるみたいなんです。ね。

「思い出してみるとです、あ~こういう風に見られてたんだな、って、あとになって気付くんです~」

「ちょっとこの部分を読み上げます。企業が求めているものは次のとおりです。業務遂行能力、、コミュニケーション能力、、チームワーク、

さすがにね、これぼくも、ね、どうかと思いますね。

”ね”が便利なのはわかるけどさ~ 句点がわりに使われるとさすがに「くどい」よっ?!

・同意を求めている

”ね”を使う背景には

「だよね?」「あなたもそう思うでしょう?」「わたしの言っていることは同意できるでしょう?」

というニュアンスを含んでいることも多い。

証拠に ”ね” を ”ですよね?” と置き換えても文章が成立してしまう場合が多い。

「自己PR、苦手だなって考えてらっしゃる方も多いと思います。ですよね?」

自分の意見に自信がないときや話をゴリゴリ推し進めたいときに、使われる手法や

こうしてみると「押し付けがましいなあ」って印象を受けるけれど、実際スピーチや講話なんかは「自分の意見を押し付ける場」に近いのだから、しょーがないよ?(←同意を迫る)

話はそれるけど女性モノのアパレルショップなんかでも、同じ心理状態に陥っている店員さんを見かける。

「そうですねーお客様ですとこの色なんかがー、うん。合わせやすいと思います。えぇ」「やっぱりパステルカラーお似合いですねー!えぇえぇ

これも「肯定されるかどうか自信がないから、自分で肯定しちゃう」っていう深層心理から出る相づちだ。


なるほど
いずれにしても自分のスピーチを録画して見直した経験は無さそうだ。

・語尾に”ね”がつく本当の原因

「話に集中できねぇ」

事実、興味は語尾のほうに注がれちゃって、今回の講話の主旨がなんだったかぜんぜん思い出せない。そもそも必要ないのにはさむことに問題がある。

・必要もないのに語尾を付け足すのはなぜか

”ね”も”まあ”も”えー”も”語尾伸び”も、すべては削ぎ落とせる。言わなくとも意味は通じる。なのに必要以上に使ってしまう。

特に”ね”に関しては、”まあ”や”えー”とは違って本人も良かれと思って付けている感が強い。

「同意を求めている」にもあったように聞き手との距離感を大切にしようという気遣いが感じられるのだ。じゃあ、なんで2時間のあいだに”ね”が800回強も出て耳障りになるほど「暴走」してしまったのか。

ここですこし視点を切り替える。話し手側ではなく、聞き手側に注目した。

この講師はハローワークから派遣されている職員で、「就職に関する講話」をもう10年続けているそうだ。

今回のような講話形式では、聞き手と話し手が相互にコミュニケーションを取ることは難しい。相手に聞こえるような返事や相づちを打つことは全体の進行を止めることになりかねないし、なにより気恥ずかしいからだ。

しかし話し手からすると、聞き手が興味深く聞いてくれているかどうか、どれだけ集中してくれているかといった反応は気になる。

そこで大切になってくるのが、聞き手たちの目線や表情、ちょっとしたうなずきなどの言語に依らない情報「非言語コミュニケーション(ノンバーバルコミュニケーション)」というものだ。

たとえば就職活動で企業の選考会へ行ったとしよう。そこで人事担当者や社長がちょっとしたスピーチをするとき、応募者は足を組んで腕を組むような聞き方をするだろうか。携帯をいじるだろうか。

決してそんなことはしない。背筋をただしく、あるいは身を乗り出すように話を聞き、うなずき、ときには熱心にメモを取るだろう。

だけど残念ながら、ハローワーク主催の講話はそれとは対極にある。

寝ている生徒、こっそり携帯をいじっている生徒、虚空をながめている生徒。オレなんかはさぞ熱心にメモをとっている生徒だと思われたんじゃないだろうか。その実”ね”の回数を数えているだけだっていうのに。

事実、昼休みの際のクラスはこんな会話で持ちきりだった。

「はー今日の午後は講話だってよ、ダリぃ〜」
「俺は早退するわ〜じゃあな」

そう、聞き手の質が最悪なのだ。

いくら熱心に就職のことを説いても、聞き手から反応がなければ語気は弱まる。自信も失う。オレ自身、何度もそのような経験があった。

この講師もキャリア10年の話し手とはいえ人の子だ。いやむしろ10年選手だからこその「あきらめ」すらあるのかもしれない。

講話するほど、一人語りのような滑稽さに心が徐々にすり減っていく。それでも仕事として講話は続けなければならない。ではこの心と現実の矛盾をどうしたらいいのか。

講師の深層心理が出した答えは「誰も反応してくれないなら、自分が反応すればいい」だ。

「ね?(そうでしょう?)」
「ね(そうです)」

かくして、ひとりの講師は他人が反応を示してくれないもんだから、自分自身で同意するようになった。これが”ね”が無限増殖を繰り返した顛末だ。

原因は、聞き手の無関心さにあったのだ。

・・・っていう説をオレは強く支持する。

・話が面白くねえのは講師のせい。だから違和感に気づく。

上記で「聞き手が悪い」といったん結論づけたわけだけど、それだけで終わるにはアンフェアすぎるよね。

「そもそも聞き手が興味を示さないのは、話がつまんね〜からだろ!」っていう意見もある。ごもっともだ。話が面白ければ聞き手の反応も変わる。目線も上がるし、身の乗り出し方も前かがみになるし、一人二人は大げさにうなずいたり、返事をする聞き手だって出てくるものだ。

「学校で行われる講話にそんなおもしろさを期待するな」

果たしてそうなんだろうか?実際、おもしろい講話はあった。

たとえば、プロレスラーが自分の半生を振り返る講話。「ばってんxぶらぶら氏」という壇上のレスラーにみんなが注目していた。話し手レスラーが聞き手を逆指名するのだ。壇上から降りてはひんぱんに意見を聞きに来る。ああいう「小芝居」は非常に効果的だ。

今回のような就職に関するスピーチを任せられた講師は、配られた紙に書いてあることを説明することで2時間いっぱいいっぱいであると”勘違い”しあのような「一方通行なスピーチ」に行き着いてしまった。

ああたしかに職業訓練校で「就職に関する講話」はしなきゃならない。だって「そのように法律で義務付けられている」んだもの。

消化試合のように講話を行う。そして聞き手はそれを見透かしている。だから白けるのだ。お役所仕事の典型例にハマっていると言わざるをえない。

聞き手も聞き手だ。いちど壇上に立てばいいのだ。話し手と聞き手では見ている景色がぜんぜん違うことに気がつく。そうすれば「やってる側の苦悩」も多少はうかがい知れて、次からもう少し顔も表情も明るくなるってもんでしょうよ。

・話の面白さと語尾癖は反比例する

もうひとつだけ。
おもしろい話と語尾癖は、反比例の関係にある。

話に興が乗っているなら、話に自信があるなら”まあ”、”えー…”なんて言葉で立ち止まることはないし、たびたび”ですよね?”と誰とも分からぬ人に同意を求める必要もない。

えてして相関図は、下図のようになっているのだ。

相関図

・意識して治していかないと一生治らない可能性が

以上をふまえて「語尾癖を治すにはどうしたらいいか」を考えてみよう。現状認識としては次に書いてあるとおり「録音して聞いてみる」「近しい人に聞いてみる」のが手っ取り早い。

けれども、本当に根本から治すには「どうしてそんな語尾癖を連発するに至ったのか」を掘り下げないと、「録音してみたら”まあ”ばっかり言ってたから気をつけるようにしました」なんて対症療法にしかならない。「なおってよかったねー」で終われるならいいけど、きっとまた繰り返す。

・録音してみる。家族、友達に聞いてみる

ビデオカメラを回したり、胸ポケットや机にボイスレコーダーを置くなどすればかんたんに自分のスピーチを振り返ることができる。やってて楽しい作業ではないかもしれないけれど、現状認識としてはこれがいちばん。

Panasonic デジタル4Kビデオカメラ VX985M 64GB あとから補正 ホワイト HC-VX985M-W

新品価格
¥55,898から
(2017/11/20 01:27時点)

【Ashuneru】 超小型 ボイスレコーダー (USBメモリ 高音質 音楽プレイヤー) イヤホン付き 取扱説明書付き (8GB)

新品価格
¥1,780から
(2017/11/20 01:25時点)

近しい人に聞いてみるのも同じ。あなたの癖をよく知る人物なら「あぁ、そういうところあるよね」と言ってくれる。ただ日常会話とパブリックスピーキング(公共の場のスピーチ)はぜんぜん違うので、確実なのは録音だね。

・聞き手との掛け合いを盛り込む

癖を治すこととは関係ないようでいて、一番ぴたっとハマりうる方法がこれ。

スピーチ中、ふんだんにボールをパスするのだ。

「そんな経験ありますか?そこの頷いてくれた方」
「質問はありますか?そちらのお兄さんどうですか?」

聞き手の反応が薄い、聞き手とのコミュニケーションが不足していることが原因にあるならこれで決まり。

どうやったら一方通行にならないんだろう?もっと引き込まれる話し方ってあるのかな?

考えることは、いっぱいあるね。

※このブログも一方通行じゃん、って?あぁ〜耳が痛すぎる〜

・(おわりに)語尾癖は他人事じゃない。いつだって起こりうる

以上、オレが関わった講師をメインで取り上げて語尾癖について自分なりの考えを書いてみたんだけれど、やっぱりこれ、いつ自分に起きてもおかしくない、っていうかスピーチをするひとは誰でもすぐに起きうる悩みだって確信したよ。

だってスピーチなんて(ものによってさまざまだけど)聞き手は正直だもん。つまらないと思えば眠りこけるし、開いていたノートだって閉じるし、疲れてくれば足も組み始めるし顔も下がる。そりゃ、話してるほうからしたら気が気じゃないよね。自信なんてかんたんに失うよね。言葉だってかんたんに出てこなくなるし舌ももつれる。

そこをなんとかするのが、腕の見せどころなんだけどさ。

「明日は我が身」です。

ここまで読んでくれたキミ、本当にありがとうね。感想があったら書いてってほしいよ。


The following two tabs change content below.

わたなべりょうへい

貯金はぜんぶ仮想通貨になりました。 2018年で資産500万円→資産1億円を達成するはずでしたが-200万円で決着しました。相場が悪すぎた。 2019年で優良案件を「ネット上」ではなく「人と会って」見つけ続けます。それで将来のお金の心配を無くします。だからあなたもLINE@登録をよろしくね!→LINE@に登録する